鳴らない電話のなる日。

実家の両親とはめったに連絡をとらない。めったにというか重要な連絡しかとらない。決して仲が悪いというわけではないが、昔からそんなものである。そして、親から連絡が来るのは正月の帰省の確認を除いては基本的に悪い知らせばかりだ。

前回の連絡は祖父が亡くなったこと、その前は母親自身がガンで手術したこと。突然の連絡で良い知らせなどここ何年も受けていない。

今日の昼電話が鳴った、母親からだ。悪い予感しかしない。が、今日は悪いものではなかった。

突然だから少し驚いたが、実家が引っ越しするとのこと。ここ数年引っ越したいというようなことは聞いていたが、具体策はまだなく、突然のことであった。半年前の帰省の際にはなかった動きだ。

今の実家はかなりボロいので、できることなら早く引っ越してほしいとは思っていた。今の実家は母の実家のすぐ近くで、母の実家には数年前まで祖母がいたから、引っ越すに引っ越さない理由もあった。今は祖母はもういないので、この家に住み続ける理由というのがない状況であった。

自分自身も何度も何度も引っ越しをして、中3~大学卒業まで今の実家に住んでいた。中学で転校などしたくはなかったし、実際転校してみたらマジで腐っていた中学校であった。

今の実家は母親の実家のすぐ近くで、徒歩圏内には他にも母方の親族が大勢いる。その中の1人が同い年の女の子(親同士がいとこ同士、つまりはとこ)なのだが、バリバリのヤンキーであった。3姉妹皆ヤンキーだし、何ならその両親も結構パンチの効いたビジュアルである。しゃべると全然悪人じゃないのだけど、ビジュアルは異様にパンチがある。

中学は7クラスあり、ヤンキーは1クラス1人か2人ずつ配属されていた。つまりどこのクラスにもヤンキーはいるのだが、よりによって親戚のヤンキーと同じクラスになった。1/7だぜ確率は。中学では一度もしゃべることなく1年過ごしていたので、実際誰も親戚同士だななんて気づいてないだろうけど。まじでこれだけはやめてくれよと思ったんだけど。

ヤンキーと言ったって、髪の毛がすごい色形であったり、学校でタバコ吸ったりするくらいで、喧嘩や暴力沙汰はなかったし、いじめもなかったし、盗んだバイクで走り出したり窓ガラス叩き割るようなことはなかった。アラフォーになった今は「ちょっといきがってますね」くらいにしか思わないけど、その当時はもうね。。ヤンキーがいるから終わってるとかいうことではないんだけど、それにしてもいろいろな意味で終わってたこの中学は。特に教師がね、揃いも揃ってクソばっかりでね。まともな人もいたけど。

最初の中学は今思えばなかなか教育のレベルの高い中学であったなと思う。ギャップがすごすぎて。最初の中学にもクソ教師はいるにはいたけど、ほとんどが教育熱心でいい先生ばっかりだった。中学校自体も真面目で堅苦しかったけどそういうもんだと思っていたし、今思えば断然そちらのほうがよかった。それと引き換えね、いい先生とクソの比率が真逆になったくらいの感覚だった。ので、本当にカルチャーショックだった。

その他もいろいろあったけど中学3年生の1年間は人生の中で最も振り返りたくない1年だよ。これが本当の黒歴史だよ。なんたって自分で変えられない運命だからな。自分何も悪いことしてないし。まあごねてごねてごねまくってどっか全寮制の中学に行くとか、できなくはないことはないけど、現実的にありえない選択肢だしね。

そんなわけで今の実家に思い入れも何もないし、ボロ家からの引っ越しはむしろ喜ばしいことである。場所的には今の実家からは更に田舎の方に行くことになる。実際ワイも住んでいて引っ越すとなれば猛烈に反対したかもしれんが、年に1,2度帰省するくらいなら別になんてことはない。むしろ、新しい家のほうが近所に買い物する施設はたくさんあるので、住みやすそうな感じはする。

さて、ワイ、本籍を実家の住所にしてるんやけど、どうしよかな。もう何も縁もないところになるわけやし、実際本籍地なんてどこでもいいけど、さすがに変えよっかなっと思う。

そして今の実家は不動産情報サイトで売りに出されている。実家が売りに出されているのを見るとなかなか笑えてくるものがある。買い手などつかないであろう。

夕方には叔父(母の弟)からも電話がかかってきた。これも地元から離れた今そうそうかかってくるものではないのだが、叔父からの電話は基本的に喜ばしいイベントが多い。というか電話があればほとんどは趣味の誘いである。こちらはピンときたとおりの内容だった。

めったにかけてこない母と叔父からの電話が同じ日にきたもので、珍しいことも続くのだなと思った1日であった。

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